美味しさは、余白に宿る


お疲れ様です。百花繚蘭の店主です😊

料理を作っていると、時々こんなことを考えます。

人は本当に「味」だけを食べているのでしょうか。

甘い。
辛い。
酸っぱい。
苦い。
旨い。

もちろん、それらは料理を形づくる大切な要素です。

けれど、同じ料理を食べても、
忘れられない一皿になる日もあれば、
「美味しかった」で終わる日もあります。

その違いは、味覚だけでは説明できません。

今月の一皿では、鱧を三つの仕立てで表現しています。

同じ鱧でも、
合わせるものや温度、
香りや食感が変われば、
まったく違う表情を見せます。

けれど、どれだけ姿を変えても、
その中心にあるものは鱧です。

人も同じなのかもしれません。

立場が変わり、
環境が変わり、
出会う人が変わる。

そのたびに、
見える景色も、
考え方も、
少しずつ変わっていきます。

昨日の自分と今日の自分は、
同じようでいて、
まったく同じではありません。

料理もまた、
食べる人の状態によって味わいが変わります。

嬉しい日に食べる料理。

疲れた日に食べる料理。

大切な人と食べる料理。

一人で静かに向き合う料理。

皿の上にあるものは同じでも、
受け取る側の心が違えば、
その料理の意味も変わります。

料理は、
食べた瞬間からなくなっていきます。

絵画のように残り続けるわけでもなく、
建物のように形を留めるわけでもありません。

だからこそ、
料理には独特の儚さがあります。

なくなることが前提だから、
その一瞬に意味が生まれる。

そして、
形として残らない代わりに、
記憶の中へ残っていく。

美味しい料理を作ることは、
料理人として当然の仕事です。

ただ、
本当に目指したいのは、
味の先に何かが残る料理です。

季節を思い出す。

誰かとの会話を思い出す。

あの日の空気や、
店の静けさまで蘇る。

そんなふうに、
一皿が記憶の扉になることがあります。

人は料理を食べているようで、
本当は時間を食べているのかもしれません。

その日の空気。

その時の感情。

目の前にいる人。

そして、
二度と同じ形では戻ってこない一瞬。

百花繚蘭では、
料理を通して、
そんな時間をお渡ししたいと考えています。

食べ終えたあと、
お腹だけではなく、
心のどこかに何かが残る。

そんな一皿を、
これからも作り続けたいと思います。

ではまた明日😊

百花繚蘭 について

名古屋 覚王山で小さな日本料理店 「百花繚蘭」 を夫婦で営んでいます。 僕なりのイノベーティブな料理を月替りのお任せ懐石にてお出ししています。