お疲れ様です。百花繚蘭の店主です😊
先日、知り合いのお店へ朝食をいただきに行ってきました。
価格は3,800円。
焼き鮭を中心に、ご飯、豚汁、明太子、小鉢、卵、果物。
一見すると、とても素朴な和朝食です。
けれど、お米や味噌にも強いこだわりがあり、一品一品から丁寧な仕事が伝わってきました。

料理人という仕事は少し厄介です。
「美味しかった。」
その一言だけで終わることができません。
どうしてこの器なのか。
なぜこの順番なのか。
この3,800円という価格は、何に対して支払われているのか。
そんなことを考えながら箸を進めていました。
しかし、店を出る頃には、考えていたことが少し変わっていました。
「そもそも、人の朝ごはんとは何なのだろう。」
当たり前すぎて、誰も疑わないこと。
だからこそ、考えてみる価値があるのかもしれません。
人は一日に三度食事をします。
昼は活動のため。
夜は一日を締めくくるため。
では、朝は何のために食べるのでしょう。
栄養学なら、
脳を動かすため。
血糖値を安定させるため。
集中力を高めるため。
そう答えるでしょう。
もちろん、それは正しい。
けれど、その答えだけでは何か足りない気がします。
もし栄養だけが目的なら、完全栄養食でもサプリメントでも成立するはずです。
それなのに人は、何千年もの間、ご飯を炊き、出汁を引き、味噌を溶き、魚を焼いてきました。
効率だけを求めるなら、もっと簡単な方法はいくらでもあったはずです。
それでも、人は朝になると食卓を整える。
私は、その理由は「生きることを確かめるため」ではないかと思っています。
朝、目を覚ます。
眠っている間、人は社会から少しだけ離れます。
仕事も。
肩書きも。
悩みも。
喜びも。
すべてを一度手放し、静かな状態で朝を迎えます。
そして最初にすることが、「食べる」という行為です。
温かい味噌汁を口に運ぶ。
炊きたてのご飯を噛む。
焼き魚の香りを感じる。
その一口一口が、
「今日も私は生きている。」
そんな静かな確認なのではないでしょうか。
だから朝ごはんは、空腹を満たすためだけのものではない。
今日という一日を受け入れるための時間なのだと思います。
料理人は、料理を作っているようで、本当は時間を作っているのかもしれません。
出汁を引く時間。
ご飯を炊く時間。
魚を焼く時間。
その積み重ねが、一膳の朝ごはんになります。
知り合いのお店でいただいた3,800円の朝食。
私がいただいたのは料理だけではありませんでした。
その一膳の向こうにある、手間と時間、そして「朝」という時間を大切にする想いだったのだと思います。
料理には、お腹を満たす力があります。
でも、それだけではありません。
人の心を整え、暮らしに静かなリズムを与える力もあります。
だから私は、料理を作ります。
美味しいと言っていただくためだけではなく、
「今日もいい一日になりそうだ。」
そんな気持ちで店を後にしていただける一皿を目指して。
今回の朝食は、私に新しい問いを残してくれました。
百花繚蘭が朝の料理を作るなら、どんな時間を届けられるだろう。
その答えは、まだありません。
けれど、答えを探し続けることもまた、料理人という仕事の楽しさなのかもしれません。
第二話へ続く
ではまた明日😊